みどころ

不忍弁天堂

寛永寺を創建した天海僧正が建立。創建当時のお堂は戦災で消失し、現在の堂は昭和33年(1958年)に再建したもの。ご本尊(八臂大弁財天)は、長寿や福徳・芸能の守りとして信仰されています。池の四方からお参りできるように八角形のお堂です。

不忍弁天堂写真

西郷隆盛銅像

明治維新の指導者の西郷隆盛は、幕府征討軍参謀として幕臣の勝海舟との会談で、江戸城の無血開城を実現しました。作者は高村光雲で、明治31年12月18日に除幕式が行なわれました。

  • 身長:370.1cm
  • 胸囲:256.7cm
  • 足 : 55.1cm

連れている犬の刻みは、後藤貞行で犬は「ツン」という名前です。

西郷隆盛銅像写真

清水観音堂

寛永8年(1631年)に京都の清水寺に倣って建立されたお堂で、清水の舞台からは不忍池の蓮池が眺望できました。

清水観音堂写真

五條天神社

中世には、上野公園内の摺鉢山にご鎮座されていましたが、大正14年(1925)に現在の地にご遷座されました。うけらの神事や節分の行事で有名です。

五條天神社写真

上野東照宮

寛永4年(1627)、藤堂高虎が造営しました。現在のご社殿は、三代将軍徳川家光公が造替したものです。唐門、拝殿、本殿建築は、当時の建築技術が結集した見ごたえのある荘厳なものとなっています。

上野東照宮写真

旧寛永寺五重塔

寛永8年(1631)、土井利勝が寄進した塔は、寛永16年(1639)に焼失しました。現在の塔は、焼失後に寄進されたものです。五重塔は、上野動物園内に位置しています。

旧寛永寺五重塔写真

蛙の噴水

上野公園の不忍口からの入り口付近を、袴の腰に当たるところから「袴腰広場」と呼ばれています。ここには、かわいい、おへそが付いたかえるの噴水があり、夜にはイルミネーションが灯り、待ち合わせにも利用していただけます。

蛙の噴水写真

上野大仏とパゴダ

寛永8年(1631)、公園内の大仏山に堀直寄によって寄進されたが、度々の地震や火災で現在は、大仏様のご尊顔のみが保存されています。大仏再建の願を込めて仏塔(パゴダ)も建立されています。

上野大仏とパゴダ写真

時忘れじの搭

落語家の故・林家三平師匠未亡人、海老名香葉子さんが建立した東京大空襲を忘れないための平和の母子像の記念碑。平成16年に建立され、林家ご一門により慰霊の会が催されています。

時忘れじの搭写真

小松宮親王像

明治維新の功労者であり、会津征討の総督(東征大将軍)に任じられ、日本赤十字社にも貢献された、伏見宮邦家親王の第8王子「小松宮彰仁親王」(仁和寺宮純仁法親王)の騎馬像です。輪王寺第13世門跡で寛永寺第15代山主の公現法親王(還俗後、北白川宮能久親王)は、小松宮様の弟宮にあたられます。

小松宮親王像写真

グラント将軍植樹碑

明治12年(1879)、アメリカ合衆国第18・19代の大統領グラント将軍が、任期終了後に、夫妻で世界一周の途上、来日をされた。上野公園で明治天皇の行幸のもとに開催の歓迎会にて植樹をされた記念碑で、毎年、献花が行なわれます。
グラント将軍はローソン・ヒノキを、夫人はタイサンボク(マグノリア)を植樹されました。

グラント将軍植樹碑写真

ボードワン博士像

明治新政府が利用を決めていた上野の山を、近代的な「公園」にすべきとの提言により、上野公園が生まれることになりました。公園の産みの親ともいえるオランダの一等軍医ですが、母国であるオランダ政府の資料の錯誤で平成18年に像を交換するまで、博士の弟の像が建てられていました。

ボードワン博士像写真

野口英世像

世界的な細菌学の博士である野口英世博士の銅像が、竹の台噴水の東側に建立されています。珍しい全身立像です。

野口英世像写真

竹の台噴水

竹の台は、江戸時代根本中堂があったところで、両側に竹の台(うてな)があったことに由来します。ここには、常行堂、法華堂などの主要な堂宇がありましたが、戊辰戦争で灰燼として消えてしまいました。本堂跡へ博物館が建設され、その前庭としての修景で緑と噴水が計画されました。(噴水を中心に、左右対称の景観が楽しめます。)

その後上野恩賜公園再生整備事業の一環として再整備され、平成24年5月新たに完成しました。

竹の台噴水写真
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